日本酒の豆知識 [入荷商品]



ぐでんぐでんに酔っぱらった状態を「泥酔(でいすい)」というけれど、その語源は中国の唐の時代にまでさかのぼる。杜甫の詩にある「酔如泥(すい、でいのごとし)」という一節からきたもの。
「泥(でい)」とは、南海に澄む骨のない虫のことで、水中では元気だが、水がなくなると泥(でい)のようになってしまう。酔っぱらいもまた水がなくなるともがき、苦しまぎれにのたうちまわり、その姿が「泥(でい)が水を失った状態」によく似ていることから、泥酔(でいすい)という言葉が生まれた。 

 

 

 


ワイングラスやビールグラスを例にとってもわかるように、酒を飲むための器は底が深いカタチが世界的に主流である。底の浅い日本酒用の杯は、むしろ特殊な存在といえる。これは、太古の時代の生活形態の違いによるところが大きい。大陸においては土器が発明される以前、酒を保存するのに牛や山羊などの角が利用された。しかし、島国で大型獣のいなかった日本列島では、四方の海からザクザク獲れる貝殻を器に使ったと想像される。この器の基本的な形状が、土器の時代になっても受け継がれたのだろう。

 

 

 


日常よく使われる「くだらない」という言葉。その語源が酒にあり。酒造業界では、昔から灘や伏見といった関西地方の蔵元でつくられた酒を「下り酒」「上方酒」などと呼んでいる。江戸時代、酒造りは伊丹、池田、灘など「大阪」を中心とした関西が盛んで、江戸でも「下り酒」「上方酒」は好んで飲まれた。関西の酒は、「東海道を下る」つまり馬の背に揺られ、関西地方から何日もかけて江戸に運ばれたという。その間に樽木に使われた吉野杉の香りが酒に移り、なんともいえない風味となり、江戸っ子の間で人気を集めたのだ。これに対して「地廻り」と呼ばれた関東周辺の酒にはこの風味がなく、醸造技術の問題もあってか味もかなり落ちたとか。「東海道を下らない酒は旨くない」と、江戸っ子の間では常識のように言われるようになる。そこから、つまらないことを「下らねぇ」に変化させ、造語として流行ったのがはじまり。 

 

 

 

 


友人との付き合いや宴会で、ついつい飲みすぎて翌朝ひどい目に・・・。 
そんな経験はきっと誰にでもあるはず。こうした悪酔いや二日酔いは、ちょっとした工夫で防ぐことができる。まず基本は、酒だけを胃にいれないこと。しっかり食べてから飲む、または飲みながらきちんと食べるようにしたい。肴にする料理は、なるべくタンパク質や糖分、ビタミンなどがバランスよく含まれているものがイイ。こってりした脂分の強い料理は、胃に脂肪の膜をつくってアルコールの吸収を遅らせ、飲み過ぎる原因になってしまうので要注意。また、適度に水をはさみながら飲むのも、血中のアルコール濃度を下げるのに効果的。濃度の高い酒であれば、オンザロックで楽しむのもいい。
また、濁り酒などの酵母の生きている酒は、腹の中でも発酵がつづくので、時間がたってから急にガクンと酔いが回ることもある。

 

 

 

 


たとえば明治時代は、一般に超辛口(日本酒度が+16)で酸味も多かったようです。その反動かもしれませんが、大正時代はその辛さも半分程度になります。昭和に入ると一転して甘口になっています。その甘口傾向も戦後徐々に弱くなり、昭和60年頃を境にしてやや辛口傾向に、そして現在は甘口に。※本当かどうかは、定かではないのですが、一般的に不景気になると甘口が好まれ景気が良い時代は辛口が好まれると言われています。

 

 

 

 

今、甘酒というと体を温めてくれる冬の飲み物のイメージが強く、実際、寒い時期に喜ばれる飲み物ですが、江戸時代には甘酒売りが夏の風物詩だったとか。俳句などの季語は今も甘酒の季節は夏である。しかし「貧窮問答歌」(万葉集 巻五)には、冬の夜に酒粕を湯に溶いたもので寒さを堪えている描写から分かるように、古来、酒は体を温めてくれるものであり、甘酒らしきものが出てくるその後の文献にも、甘酒は冬の飲み物として登場する。ところが、江戸時代に入ってからのことと思われるが、甘酒は、いつの間にか夏の季語になっていた。その理由は、はっきりしないが、体力の消耗する夏に栄養補給の目的で飲まれるようになったことから、夏の飲み物として季語にもなったのではないかとする説がある。実際、江戸時代末期頃には江戸、京都、大阪では甘酒売りが夏の風物として文献にでている。天秤をかついで、甘酒を売り歩いていた。

(守貞漫稿)

 

 

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